Canucks Fan: News

2000年1月1日(土)
輝かしい2000年の幕開けは‥‥

A Happy MILLENNIUM New Year !!

みなさんは、どのように西暦2000年を迎えられましたか?
私の2000年は、こんなでした。

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我が家には、TVジャパンというデジタル・チャンネルが入っているので、NHKのニュースやドラマは、み〜んなリアルタイムで見られる(私は、朝ドラや大河ドラマも見ている)。
当然『紅白歌合戦』も放映される。番組中で、いつも司会者が「海外の50以上の国でも放送されています」というアレである。まさか自分がそれを見るようになるとは、夢にも思わなかったけど・・・。

『紅白歌合戦』は、大晦日に2回放送があった。1回目は、日本と2時間ほどズレた朝の5:30から。2回目は夜の6:45からだ。どうせ見るなら日本時間に近い方を、と思って、その日、2時頃まで起きていたにもかかわらず、朝5時半に起きて見始めた。

途中の演歌タイムに、実家に“おめでとうコール”を入れる。2時間遅れて始まっているので、番組の途中で、日本が新年を迎えるからだ。だいたいどこの家でも、演歌タイムは、トイレタイムだったり、食料と酒の追加タイムだったりするらしい。

『紅白歌合戦』を見終わったのは、朝の10時。といっても大晦日の朝なんだが、気分はもうすっかりお正月になっていた。「おめでとう」の挨拶も、家族にしてしまったし…。それに、CNNやCBCでは、ずーーーっと各国の新年の瞬間の映像を放送しており、私はもうニュージーランドやオーストラリア、アジア各国の新年を味わっていたのである。番組をチェックしようとTVガイドを見た時、無意識に1月1日のページを開いていたのには、自分でも笑った。

日本の映像では、お台場の遠景と明治神宮が少し映り、あとは東大寺の大黒摩季のコンサートとカウントダウンの模様が、いちばん長く放映されていた。

午後になると、ヨーロッパ各国が新年を迎える時間。みなさんもご覧になっただろうか? エッフェル塔、すごかったでしょ? あんなにすごい花火、初めてみた。新年になる数分前から、もう素晴しく奇麗だったけど、新年を迎えた瞬間の迫力には、瞬きもせず見入ってしまった。見ながら「あー、ビデオ取っとけばよかったー」と思った。長野オリンピックの閉会式とどっちがすごかったかなぁ?とか、東京タワーもこのくらい派手にやったかなぁ?など、いろいろ考えてしまった。
私個人のベスト3は、1位パリ、2位シドニー、3位ロンドンである。

このように、私は家にいながらにして、1時間ごとにカウントダウンをやっていたのであった。

さて、バンクーバーのバスやスカイトレインが全部無料になる午後5時、私たちは料理と酒を持って、友人宅へと向かった。面白いことに、バスの料金箱には、乗客が間違ってお金を入れないよう(!)、紙を貼って投入口をふさいである。堂々とタダ乗りできるのは、実に気分がいいものだ。中には、けっこう申し訳ながっている乗客もいて、運転手に「私たちのためにありがとう」なんて何度も言って降りていく人もいる。この街では、クリスマスや新年の前は、みんながこんなふうに優しくなる。普段からみんなフレンドリーだが、バスの運転手やスーパーのレジのお姉さんたちも、必ず「メリー・クリスマス」とか「ハッピー・ニューイヤー」と言ってくれるのだ。

友人宅で、こんどはニューヨークの新年を見た。すんごい紙吹雪。どうやって掃除するんだろう? カナダの最東端=ニューファンドランドや、トロント、オタワの様子も見た。しかし、バンクーバーはまだ夜の9時。新年までには、まだ3時間もある。

午後10時半、車でバンクーバー郊外にあるお寺に向かう。日系人のいる所には、お寺もちゃーんとあるのだ。除夜の鐘を聞きながら2000年を迎えようというのが、私たちの趣向である。
入口で、鐘をつく順番の札をもらい、まず本堂でお経を聞いた。知り合いでもあるここの日本人住職は、現在日本で修行中だそうで、今日はカナダ人のお坊さんだった。欧米人でも、こうして仏門に入る人がいるのである。

11時55分、表に出ると小雨が降っていた。私たちの順番は22番から。友人は、新年の瞬間に鐘をつきたいと言っていたが、順番が来る前に、もう新年になってしまった。
その瞬間は、カウントダウンも何もなく、ただ自分の腕時計で0:00を確認したのみ。「明けましておめでとうございます」という挨拶が、そこここから聞こえるが、全体的には静かなもんである。
ただ、花火はあちこちで上がっていた。高台にあるこのお寺からは、ニューウエストミンスターという町が見渡せ、遠くに上がる花火が見えたし、すぐ裏手の家からも上がっていた。
朝からずーっと各国の新年を見てきたので「ああ、バンクーバーもやっと明けたか〜」という思いだった。

順番が来て、鐘を思いっきりついた後は、建物の中に戻って、お寺がふるまってくれる年越し蕎麦をいただいた。また、鐘をつくと小さいお供え餅もいただけるので、檀家でもないのに、なんだか申し訳ないようである。
実を言うと、私はどこかのカウントダウンに行きたかったのだが、このように静かに迎えた2000年も、なかなか良かったかもしれない。

バンクーバーでは、いくつものレストランでカウントダウン・パーティーをやっていたほか、公共の場では、サイエンス・ワールドとロブソン・スクエアのカウントダウンが賑やかだったようだ。しかし、ハードロック・カフェ(1人150ドルなり!)に行った友人に聞いてみたところ、年齢層が高く、案外落ち着いたパーティーだったという。ダウンタウンも、賑やかだったのは2000年の瞬間だけで、1時頃にはひっそりしていたとか。

実は、こういう状況には、カナックスが深く関わっているのだ。
93-94スタンレーカップ・ファイナルで、カナックスが7戦目にNYレンジャースに破れた後、バンクーバーのダウンタウンで暴動が起こったことは、ご存じの方も多いだろう。その時、ロブソン・ストリートのお店のショーウィンドーはめちゃめちゃに破壊され、駐車していた車の窓ガラスも叩き壊された。そして、19歳の青年が1人、亡くなったのである。

それ以来、バンクーバーの人達は、そういうことが予想される事態に、過剰対応するようになってしまった。その前までは、毎年、ロブソン・スクエアでカウントダウンがあったらしいが、その暴動以降、中止。去年は、久々に復活したのである。
しかし、ポリスマンが大勢歩き廻っていて、厳戒体制みたいだったとか。それとこれとは違うと思うのだが、一度植え付けられた強迫観念は、なかなか消えないらしい。
元旦の日にロブソンを歩いてみて驚いたのは、ショーウィンドーをベニヤで覆っている店が多かったことだ。最初は、改修工事のために臨時休業する店かと思っていたが、あまりに多いので不思議に思っていたところ、ニュースを見たら、そういうことだった。ニュースではご丁寧に、暴動の時の映像まで流していた。

家に帰って、録画してあった『ゆく年くる年』を見た。やっぱりお正月は日本がいいと思う。これは、海外にいる日系人が、口をそろえて言っていることだ。お寺や紅白はあっても、あの雰囲気は、ここでは味わえない。こたつで蜜柑、お屠蘇にお雑煮・・・数え切れないお正月の風物詩は、永遠に残って欲しいものだと思う。

選手たちは、どんな新年を迎えたのだろう。2日午前11時にカルガリーで試合なので、1日は移動日だと思うが、2000年の瞬間はバンクーバーにいたはずである。家族で静かに迎えたか、独身選手は集まってカウントダウンでもやったかもしれない。カリヤはノース・バンクーバーのおうちに帰ったかな。

2000年がカナックスにとって、そして読者の皆様にとって、素晴しい年でありますよう、心よりお祈りいたしております。

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