富山県・南砺(なんと)のお寺は精神的にも経済的にも、何世紀も都市の中心であり続けて来ました。北陸地方は浄土真宗の主要な拠点であり、2つの非常に大事なお寺がここにはあります。

上から見た井波(いなみ)の町。たくさんの農家が田んぼの合間に見られます。

井波町の瑞泉寺は1390年の昔に創建されましたが、残念ながら度重なる火事により本堂は焼失しました。

瑞泉寺の壁。地元の大名が城を建てることを禁じられた時、代わりにこっそりとお城を要塞化し始めました。

もっとも古く残る構造物は山門で、京都より招かれた大工の教えを受け1809年に建てられました。

巨大です!

両端には動物や神話の人物、また幾何学模様が複雑に彫られています。井波の最初の木彫り師は、この門を作りながら業を学び、そこから急速に新しい産業が発展していきました。

地域の伝説によると、この入口の上に彫られた龍は、このお寺を焼き払った火を消すために生きて出たと言われています。

狛犬は、その強さを試すため、あえて子を崖に投げます。

私のガイドさんが教えてくれたのは、ここは「祈りと木彫りの里」であるということ。町には100以上もの木彫りの工房があり、寺や祭りの山車(だし)や住居、またコンセプチュアルな作品などに提供しているそうです。私はひとつの工房で、手練の職人さんの技を見ました。

永田さんは自分のデザインをもとに作ります。

あるお寺の玄関の6つの切妻を作るために、一年の残りの期間をかけて完成させます。

あまりにたくさんの木彫り師がいるため、お店の看板からバス停に至るまで、町中のほとんどすべては彫刻です。4年に一度、国際木彫刻キャンプが開かれるため、世界中からも職人たちがやって来ます。

バス停の梁の上にも猫が隠れてますよ。

電話ボックスだって彫刻です!

学問の神様である菅原道真の木彫りの像は、少年たちにあげられます。

近くにある城端(じょうはな)町には、もうひとつの大事なお寺・善徳寺があります。歴史は500年以上もさかのぼり、たくさんの素晴らしい彫刻を蔵しています。今日のお寺にしては珍しく一日2回の法話があり、参拝者を集め続けています。

この門は貴族のためだけのもの

本堂のどちらにも、恐ろしい龍がいました。

お寺は現在修復作業中。こうして木造の伝統が守られます。

過去数世紀、お寺は経済を一手に引きつけていました。門前市場があり、遠く・近くのお客さんに品々を提供していたのです。そして町の一線の商人たちは結果、格別に裕福になりました。

この蔵の並びはすべて一人の商人のものでした。

当時の繁栄は、毎年5月に行われる曳山(ひきやま)祭りで、町中を引かれる豪勢に金彫りされた山車(だし)に今も見て取ることができます。年のそれ以外のときでも、山車や演奏家の乗り物は何台か曳山会館で展示されています。

狙われた鳥が今にも飛び立たんとする、真に迫る彫刻

たくさんのお寺があり、そこに付近の山々での養蚕が加わり、城端では絹産業も栄えました。今日でもひとつの工房・松井機業が絹を作り続けています。

2つの異なる絹糸を組み合わせ、多様な手触りの布を生み出します。

この絹はかつてふすまを覆っていましたが、流行が変わるにつれて、ブラインドや御祝儀用の文具など、次々と新しい革新的な商品を生み出しました。

松井さんが、この半透明のカーテンを見せてくれます。すごく素敵!

創造的な伝統と豊かさが相まって、南砺は様々な芸術家を引き寄せました。著名な棟方志功(むなかたしこう)は城端の隣町、福光(ふくみつ)に5年住み、彼の作品は町のいたるところで飾られています。昼食を食べたそば屋の萱笑(かやしょう)にもありました!

棟方の作品において、仏教的なテーマは中心を成すものです。

宿泊先の古民家の宿おかべでも、木彫の技術と、この地域の仏教への深い信仰が際立っていました。ここはかつて社会的地位の高い人の邸宅で、山中のお寺がない住人たちの宗教の式典にも使われていました。ですから、ここのお仏壇は格別に豪華です。

一世紀前この仏壇が作られた時、家と同じだけの費用がかかりました。漆やサンゴ、螺鈿(らでん)がはめこまれ、金彫りがなされてるのを見て、なるほど納得しました。

でも私は、泉椿魚(いずみちんぎょ)の大胆な絵画も大好きです。毎日お風呂に入りにここにやって来ていた、ご近所に住んでいた作家であり芸術家です。

明日、私は最後の目的地である糸魚川を目指し、日本での田舎の生活を学びます。

翻訳:We Love Japan Tour 事務局・中山慶